【今日のアイデア】

日々思いついたアイデアを書いていくブログです。2009/8よりmixiで、2013/3よりはてなで書いています。

【今日のアイデア】販売前レビュー

787 発売前レビュー

 

発売前の本の内容を予想しレビューを書く。

 

(例)「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(村上春樹

 

それなりに疲れる日常を送ってはいたものの平凡と言える生活を過ごしていた主人公:多崎つくる。しかし、クマさんと名乗る謎の小男が現れて、この世界に起ころうとしている様々な苦難のことを語りだす。その話は一見壮大で主人公とは何の関係もないように思える。

がしかし、クマさんは言う「大きな話と小さな話はつながっているんだよ」。

 

世界という大きな話と個人という小さな話。それが徐々にリンクしていく。いや、クマさんの言葉を借りると「リンクさせられていく」。誰によって?「この世のものとも思えない大きな存在によって」。オーマイゴッド。

 

(P34)クマさんは、困ったもんだね、と言った。僕は、やれやれ、と言った。

 

困ったのは読者の方だよ、と読者は言いたくなったはずだ。村上春樹は、ときどきこうやって読者を迷宮へと迷いこませる。もっともこの迷宮から抜け出すときのカタルシスを味わいたくて読者は村上春樹を読むのだが。

 

(P78)気分が沈んでいるときには色彩がぼんやりとするわ。何もかもがはっきりしなくなるの。あれは何だろう。いつも好きなはずの色が好きではなくなるの。他の色と混じり合ってしまってはっきりしなくなるの。そんなとき多崎君はいつもこんな感じなのかな、と思うんだけど、どう?少し違う?

 

トキコは唐突にこんなことを言い出した。いままでは僕が色彩を持たないことについていわゆる「個人的見解」を述べることはなかったのだが、トキコの「個人的見解」を聞いたのはこれが初めてだった。

 

トキコとの関係性も徐々に変わっていく。ボランティアサークルの一員として単なる仲間にすぎなかったトキコが徐々にそうではない何かになってゆく。村上春樹作品には「簡単に関係を持たせてくれる女性」が出てくるが、トキコとは簡単にはそういう関係にはならない。簡単には?ということは、関係を持つことになるのだが、それはいわゆる「肉体的」なものではなく、「象徴的」な意味をもつことになる。

 

(P146)今まではそんなことを考えもしなかったが僕にとって色彩を持たなかったことは幸福なことだったのかもしれない。見たくないものを見なくてすんだと言えるからだ(ただしその分、他の誰かが見たくないものを見てくれていたのかもしれないが)。もちろん、逆に見たかったものを見ることができなかったとも言える。今まではそのことのつらさが僕に重くのしかかっていた。皆と同じようにこの世界を感じ取ることができない。あの風船、真っ赤だね。意味が分からない。ほら見て。黄色いスポーツカーだよ。何を言っているの。色の違いがわからないと言うことがどういうことか皆わからなかったようだが、僕は色の違いがわかるということがわからなかった。モノトーン、モノトーン、モノトーン。それが僕の世界。水墨画みたいな世界?とトキコは尋ねた。そうかもねと答えたが色彩画も水墨画も僕にとって白黒だったから違いはよくわかっていないかもしれない。ただ、水墨画の方が何となく理解できる気がする。ナチュラルって言うのかな、僕にとって。

 

「色彩を持たない」ということの意味が少しずつ変化していく。別にその事実自体は変わらないが、様々なことを見聞きするうちに、意味合いが変わっていくのだ。変わらなかった事実。変わっていった意味。この個人的体験が、世界を解釈し変革する上でも有効な手法となる。

 

(P178)気づいたようだね。とクマさんは言った。わかっていたのになぜ今まで黙っていたんですか。と僕は言った。しかし、ここで僕は気づいた。事前に言われたから分かるものではないということを。ここにくるまでの道のりを経なければ理解できるものではないということを。

 

クマさんと連れそって進んできた物語がやっと終焉を迎える。多崎つくるはどこまで進んだのか、何のために旅をしたのか。この点については読者自身が確かめてほしい。

 

今日はこれでおしまい(明日も続きますように)